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何の変哲もない空き地。
ここにはかつて家があった。母の実家があった。

子供の頃、毎年夏になると兄弟揃って母に同行し、夏休みの一カ月をまるまるここで過ごしたのだった。
日本海側で海水浴場もすぐ近くにあり、オマケに後ろには山まであるという、自然豊かな場所だった。
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祖父が亡くなってから暫くは空き家になっていたのだが、とうとう取り壊されたと聞いた時はガッカリした。
その後、この地へは一度も足を運んでいないが、ストリートビューがようやく日本海側までカバーしてくれたお陰でこうして観れるようになった。
話には聞いてたけど、実際この荒涼とした風景を見ると改めて喪失感を覚える。
周囲も見覚えのない建物が立ち並んでいて、これがあの場所とは俄かには信じがたい。
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家があったころ、この周辺は一面が鬱蒼とした松林だったんだよ…まさかこんな風になるとは。
時の流れは早い。そして残酷だ。大切な想い出を次々とぶち壊してくれる。

…あの頃、ここは本当に「田舎」という言葉がピッタリな場所だった。
周辺道路は石ころが転がるガタガタ道で、その悪路を福井駅からバスで長い時間揺られなければ辿り着けない所だった。
私は子供の頃、極度に車酔いが酷く、このバスの時間が本当につらかった。
爺ちゃんの家には行きたいけど、そのためにはバスに酔ってゲロを吐く苦しみを覚悟しなければならなかった。
今、バスの路線図を見てみると福井駅からここへは45分で来れるんだが、子供の頃はその倍くらい長い時間に思えたものだ。
奈良の家から直接、父親が運転する車で来たことも数回あったが、その時もゲロ吐きまくってたな。
大昔の事なのに結構覚えてるから余程苦しかったんだろう。
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しかし、車酔いに苦しみながらも、車窓から吹き込む風が徐々に海の匂いを含み、松林とホーロー看板の風景が現れ始める頃には「今年もやって来たんだ」という期待感でワクワクしたものです。

家へは裏口から入るのが何故か通例になっていた。
裏口は台所にあり、板の間になっていて、そこに畑で採れたスイカなどがゴロゴロ転がっていた。
その台所からは物置というか、離れみたいな建物が勝手口を通して繋がっていて、その建物の、石の土台が剥き出しになったところを裸足で乗っかるとヒンヤリする。
その足裏の感覚で「今年もやって来たんだ」という実感が湧くのだった。

物置として使っていた離れは終戦後の一時期、中国人の家族が間借りしていたらしい。
灯が一つも無く、昼間でも近寄りがたい場所で滅多に出入りしなかったが、何があったんだろう?
今思うとちゃんと探検しておかなかったのが悔やまれる。
古い扇風機が何台か、母が子供の頃読んでた少女雑誌などが出て来たこともあったな。
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上の写真で弟が指さしているのが物置部屋の方角。多分怖くて泣いてるんだと思われw
昔のフィルムを一通りスキャンし終え、最初から改めて見てみたが、家の様子を写した写真が思ったより少なく、北側を写した写真はあるけど南側は殆どなかった。
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玄関先。向こうに見えるのが物置になってる建物。

古い家というのは子供から見ると薄気味悪くて近寄れない場所が色々ある。
二階へは急な階段を這うように登って行くのだが、ここもなんか怖い場所だったので滅多に入らなかった。
お稲荷様を祀った神棚と戦前の世界地図が壁に掛かってたのを覚えている。

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畑ではスイカや野菜を作っていたが、ブドウ棚もあり、それを食べるのも楽しみだった。
ブドウ棚で家族そろって。うちにもこんな幸せな時代があったなんて今では夢のようだ。
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弟と母。この写真好き。見てると泣きそうになる。

…想い出語りはまだまだ続きそうなので残りは次回持越し。
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